さらんご〜らのフィリピンで隠居暮らし
“さらんご〜ら(saranggola)”とは、タガログ語で「凧」の意味です。
隠居暮らし事典
A 〜 Z
ATM
 Automatic Teller Machineの略。
紙幣、硬貨、通帳、磁気カード等の受け入れ口、支払い口を備え、金融機関や貸金業者、現金出納を行う業者の提供するサービスが、顧客自身の操作によって取引のできる機械。
 フィリピンのATMは、主に預金から現金を引き出すための専用機で、現金の預け入れ、振り込み、公共料金などの支払いはできません。更に、1回に降ろせる金額は概ね2万ペソ、1日の限度額は5万ペソです。

 最近、ATM口座を狙った犯罪が多発しているようです。
ATMの使い方は画面の指示に従って行いますが、機械の脇には注意書きがあります。テン・キーを操作する際に他者から見られない、覗きこまれないように手で覆って隠すなど、注意を促すものです。ATMのテン・キーの上方などにカメラを仕掛け、暗証番号を盗み、その後の手口は分かりませんが、不正に現金を引き出して仕舞うそうです。

 これらの被害は、他人事と思っていました。しかし、友人が口座から5万ペソを不正に引き出された...盗まれる被害に遭ったと聞きました。いつ、何処で引き出されたのか、銀行に問い合わせたそうです。すると、それは預金者の情報ではなく、銀行の情報になるので、弁護士が作成した情報開示の要請書作成し、弁護士を伴って請求するように言われたそうです。弁護士の1回の費用が5000ペソだそうです。2回、3回...と数が重なれば、5000ペソずつ費用が嵩むことになります。
友人は、ここで断念したそうです。
 これを聞いた爺はカミさんと相談の上、口座維持のための最低金額を残してATM口座の預金を降ろし、通帳のみの口座に移動しました。

 その後、2015年11月になって、知り合いの日本人が被害に遭いました。
ご主人の給料が振り込まれる口座で、奥さんがネット・バンキングで公共料金の支払いをしているそうです。
ネットで残高確認をしたところ、数十ペソしか残っていませんでした。
最後の引き出しは、MEGA LINKのATMと分かっりましたが、場所は特定できませんでした。
そこでご主人に確認すると、3日ほど前に銀行のATMでお金を降ろしたのが最後との返事でした。
お金を不正に引き出されたのは、その翌日の日付になっていました。
銀行に確認したところ、ATMの場所は分からない。
被害額は補償しない。
そこで、口座はそのままにして、暗証番号を変えたそうです。
身近なところでこんな事件が、重ねて起こるなんて...。
BUDOL “物乞い”と共通します。
街の繁華街やショッピング・モールなどで見知らぬフィリピン人に声をかけられることがあります。物売り、客引き、因縁...など様々です。
「わたし、あなたの泊まっているホテルのコックです」コックの部分がセキュリティーになったり、掃除係になったりします。これがショッピング・モールなどになると、更にバリエーションが増えてきます。特に、生活圏内になると...
「以前、あなたの家のペンキ塗りをやった」
「わたしはトライシクルのドライバーで、あなたのことを何度も乗せたことがある」
などと言い寄ってきて...、いろいろ言ってきます。
 
「きょうは奥さんの誕生日、プレゼントをあげたいけどお金がない。貸して!」
誕生日が親になったり、こどもになったり...。
「家族が病気で死んで、葬式を出さねばならない。でも、お金が無いから...助けて!」
病気が交通事故になったり、殺されたり...。

 このような手口をタガログ語BUDOL、或いはBUDOL BUDOLと言うそうです。
他人の情けにつけ込む手口です。これは日本人や外国人相手向けの手口ではなさそうで、フィリピン人に対しても行うそうです。悲しいことですが、無用な情けをかけたりすると嫌な思いをすることになりそうです。
 
CATHAY   フィリピンで日本式の英語が通じない言葉がたくさんありますが、“CATHAY”もそのひとつです。
日本では香港に本社をもつ航空会社は“キャセイ(パシフィック)”と呼ばれています。しかし、これがフィリピンでは“カタイ”です。

 辞書で発音記号を見ると“キャセイ”と発音するようですが、更に読み続けると...、東方見聞録で有名なマルコ・ポーロが北部中国地域をさして“カタイ”と名付けたそうです。フィリピンで東方見聞録が云々されることはないでしょうが、“キャセイ”を無理やり通すより“カタイ”で妥協した方が事は早く済みそうです。
ECC
EMIGRATION CLEARANCE CERTIFICATE
  <内容に変更があり、只今...編集中>

 フィリピン国内に6か月以上滞在した外国人に義務付けられています。
ただし、フィリピンでの長期滞在ビザ、就労ビザなどを有し、再入国許可の手続きをした場合は免除されます。
従って、観光ビザの延長で6か月以上滞在した場合は、手続きが必要になります。
10指の指紋を取りますので、本人の出頭が必要です。
観光ビザの延長で6か月以上滞在し、ECCを所持していないと空港で足止めされてしまいます。

 *申請場所:イミグレーション本庁他、出張所。
 *必要書類:パスポート、ビザの延長手続きをした際の領収書
 *写真:2×2(インチ)5枚
JPM
 JPMの元歌とタガログ語のタイトル、
歌手名の一覧は...こちら

 JAPAN PHILIPPINE MUSICの略
元歌が日本の歌で、タガログ語の歌詞がついたもの。
元祖(?)はテッド・イトーさんと思われる。
(※)
徳永英明さんが歌った“最後の言い訳”、“輝きながら・・・”、“Myself”などが有名。

 さらんご〜らが初めて聴いたのは、イルカさんの“なごり雪”のJPM...“Minsan lang"。
その時の思いは、『こんな歌...あるのかぁ〜?!』
その後、タレントさんに貰ったカセットテープに入っていたのが、先の3曲と“シングル・アゲイン”の“Lumayo ka man sa akin”、そして正体不明の...“Maghintay ka lamang”。この5曲...元歌の日本の歌も知らずに丸暗記する。
 それがきっかけとなり、フィリピンに来るたびにショッピング・モールのCDショップ屋さんをはしご。その頃のCDはまだまだ高く、今と然程変わらない金額だったので、専ら、カセットテープに収録されているJPMを漁る。時には、店頭で歌って、踊って...。
 或る時、タクシーの乗っていたらラジオから聞こえてきたのは、“踊るポンポコリン”のタガログ語バージョン。急きょ、予定を変更して、タクシーの行き先を近くだったハリソン・プラザに変更。エスカレータ脇にあったCDショップに飛び込み、友だちと一緒に歌う醜態を演じた。その甲斐あって、“Suzuki Girls"が歌うカセット・テープを入手。
 当然ながら、店員さんの...“(JPMが)入っているよ!”の言葉に騙されて買ってしまったカセットも少なくなく、その数は300本超。そして、時間があるとカセットテープがすり減るまで聴きながら、テープ起こしをして歌詞を収集。
その結果、集めたJPMが...およそ100曲、丸暗記した曲が...およそ30曲。
もともとカラオケは好きな方ではないので、この辺りで息切れを起こす。
現在、歌える曲...数曲のみ。

 ◎最初に丸暗記した曲: 最後の言い訳=Ikaw pa rin
   元歌も知らずに憶えて、結局...歌えず!
 ◎一番難しかった曲: さよなら夏の日=O, kay sarap ng pag-ibig
   歌詞に繰り返しが無く、長ぁ〜い。
   JPMのテンポに慣れて仕舞うと、元歌が...遅くて、先走ってしまう。
   その内、歌詞が...バラバラ!
 ◎最短(ひと晩)で憶えた曲: 追憶・never fall in love =Di na ibig muli
   1回聴いて...嵌る。歌詞が繰り返しなのでひと晩でクリア!
 ◎元歌を知らずに憶えて、結局、歌えなかった曲=多数(最後の言い訳、輝きながら、Myself...ことごとく沈没!)

JPMの想い出・・・店中からおしぼりを投げられた!
 友だちに誘われて、初めて行ったフィリピン・パブでのことです。
そこで、1時間余り...
「タガログ語、分かりません。
 “私”は何といいますか?」
などと、入れ替わるタレントさん相手にタガログ語を教えて貰っていました。
ネタを知っている友だちは、頃合いを見て竹内まりあさんの“シングル・アゲイン”をリクエストしました。
いよいよ、カラオケの番が回ってきました。
隣についていたタレントさんと共にステージへ...。
一番は日本語で歌い...、
間奏の後、“Lumayo ka man sa a〜kin”とタガログ語で歌い出しました。
少しの間があき、隣のタレントさんが...「あっ、タガログ!」と気付き、その波紋は次第に店中に広がりました。
15分ごとに入れ替わってタガログ語を教えてくれたタレントさんが、店のあちこちに散らばって接客をしていました。
彼女たちも気付き、ひとりが「嘘つきぃ〜!!」と叫びながらおしぼりをステージに向かって投げつけました。
それが引き金となり、店中から...「嘘つきぃ〜!!」と共に、おしぼりが...!!

※JPMの元祖は...?
 上でJPMの元祖はTED ITOさんと書きました。
しかし、よくよく考えて、ちょっと調べてみましたら...、
TED ITOさんの歌った“Ikaw pa rin”の元歌、”最後の言い訳”がリリースされたのは1980年代の後半で、“Ikaw pa rin”は90年代のようです。一方、シャロン・コネータさんの“Itanggi mo”は、“High School”などと一緒に1980年代初頭にリリースされていました。そうすると、シャロン・コネータさんが元祖かどうかは分かりませんが、TED ITOさんの”Ikaw pa rin”よりも早いことが分かりました。

 JPMの始まりは詳らかではありませんが...、ちょっと、考察。
一般的に言って、フィリピンでリリースされる新曲の数は極端に少ないよう感じます。
あのEAGISでさえ、この14〜5年の間に新しくでたCDは2枚程度だと思います。その内の1枚は...焼き直し?!
昔々のカセット・テープがCDになって、いまだに店頭に並んでいます。
 例えばですが、CDを出したいと思っても、曲を作るという作業は誰でもできる訳ではありません。
ところが、その曲、メロディーさえあれば、タガログ語の歌詞を載せれば...曲になってしまいます。
 1983年にベニクド・ニノイ・アキノ元上院議員が射殺され、フィリピンへ”お買いもの”に来ていた日本人観光客が減りました。更に、86年に2月革命が起き、人の流れはフィリピンから日本へ...。日本人が運んできた日本文化(?)から、フィリピン人が見つけた日本文化がフィリピンへ伝搬しました。そのひとつが、カラオケで身に付けた...日本の歌、曲だったのではないでしょうか。そして、プロデューサーとしてのTED ITOさんの功績(?)が大きそうです。
KNORR
 ドイツ人のカール・ハインリッヒ・クノールがドイツで起業した企業。
固形スープが有名。
 これも日本とフィリピンでは異なる発音をする単語。
英語の単語で先頭に“k”があっても“k”は発音されません。“knife”とか“knoweidge”などが身近な単語ですが、“knorr”も同じ扱いを受けてしまい、“ノール”と発音されます。
 ところが、日本でははっきりと“k”を発音してしまいます。これは日本式の発音のせいなのか、或いはドイツ語では“k”を発音するのか詳らかではありませんが...“クノール”です。

 これも無駄な摩擦や衝突を避けるため、はじめから“ノール”で妥協した方が良いかもしれません。
MILO
 ネスレ社が製造、発売するココア味の粉末麦芽飲料の ブランド。
 これも日本とフィリピンでは異なる発音をする単語。
日本ではローマ字読みで“ミロ”ですが、フィリピンでは英語式の発音で“マイロ”となります。

 以前、隠居とカミさんが日本で暮らしているころ、自動販売機の前で“マイロでしょっ!!”と言い張るカミさんに“これはミロと読むんだ!!”とムキになって喧嘩をした思い出があります。“ミロ”でも“マイロ”でも...ご夫婦円満に!!
OPM  
PAGASA
RED  ケーブルテレビのHBOアジア系列のチャンネルのひとつ。
日本、韓国、中国、台湾を中心にタイ、インドネシア、ベトナム、マレーシアなどの映画を24時間放送しています。動画サイトで映画を探して観るのと違って出会いがしらになってしまいますが、時々、良い映画にぶつかることがあります。日本のTVドラマや映画に渇望している時などに、そこそこの映画に感動してしまったり、ひと言の台詞がグサリと突き刺さってくることもあります。

 ただ、日本のTV番組のように新聞や雑誌で放送時間を確認することができませんので、放送予定を調べて、記憶しておかないといけません。しかし、せっかく調べた放送時間、それが香港時間であったり、シンガポール時間であったりで、狙ってスイッチを入れた筈なのに映画半ばということも少なくありません。そんな具合ですから、後半だけ2回も3回も観た...とか、とうとう全編通して観ることができなかった...という映画も少なくありません。
 でも、期待していない名作に出会う楽しみもあります。
きっと今晩も“チャンネル44”を覗き見ることでしょう!!
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