さらんご〜らのフィリピンで隠居暮らし
“さらんご〜ら(saranggola)”とは、タガログ語で「凧」の意味です。
隠居暮らし事典
さしすせそ(ざじずぜぞ)
サービスチャージ
 飲食店やホテルなどのサービスを提供する施設で、チップの代わりに対価に上乗せされる金銭のこと。
サービス料ともいう。

 とある日本食レストランで、昼食にラーメンを食べた時のこと。
テーブルについてメニューを見て、脇に黙って突っ立っているウエイトレスに、味噌ラーメンとボトルウォーターを注文しました。すると、うんでもなくすんでもなく背を向けて立ち去っていきました。暫くして、ラーメンと水を運んできましたが、ここでも...無言!!
 食べ終わって会計のサインを出すと、トレイにのった伝票を持ってきました。そこには“SC”のふた文字と10%に相当する数字が書き込まれていました。
『あれ、サービス料はVAT抜きの金額にかかるんじゃないの??
 否、数字は10相当だけど、サービスチャージの割合いが書かれてない。
 と言うことは、12%とか、13%とか...かな?!
 それはそれとして、25ペソを要求するサービス・チャージの根拠って...??
 あんたらがわたしにしてくれたサービスって...なに??』

 この国に、“サービスってあるの??”...と疑問を持っていた爺、
サービス・チャージを取るための口実!!...悟った。

 最近、この手のお店が増えました。
飲食料に加えて5、10%程度のサービス・チャージがつきます。かつては、客の善意(?)によるチップでした。ガイドブックなどには飲食金額の10%と書かれていました。物価が滅茶苦茶あがった昨今、カミさんとふたりで食事をすると、800、900、1000ペソというお店も少なくありません。ガイドブックにある10%をチップで置くと80〜100ペソという額です。しかし、改めてチップを置くとなると、せいぜい...20ペソ紙幣1枚です。これでは安給料で働かせているウエイター、ウエイトレス、コックさんなどのチップ収入が増えません。そこで考えたのが強制的にチップを取る手段がサービス・チャージでしょう。
 しかし、それなりのサービス...が何かという議論になりますが、ならないか...があれば仕方がありませんが、無愛想なウエイトレスがラーメンを運んでくるのは業務で、サービスなのかと考えてしまいます。それだけで10%取るなら...自分で注文して、ラーメンを自分で運ぶよ!!
 そこまで頑ななことを言わずとも、サービスというものがあり、そこに好意を感じることができれば対価を払うのは否定しません。しかし、サービス料が飲食料の付属品となってしまっては、サービスを提供する側のなおざりになることでしょう...ね。
サービス・チャージの無い店に行こう!!...せめてもの抵抗です。
再入国許可(日本)
 日本国に在留する外国人、一時的に出国し、再び我が国に入国しようとする場合に,入国・上陸手続を簡略化するために法務大臣が出国にに先立って与える許可。
 日本に在留する外国人が日本国外に出て、再び戻る場合、本来は煩雑な入国手続きが必要になります。その手続きを簡素化する措置が、再入国許可です。出国前に再入国許可を申請し、3年、或いは5年間の有効期間の許可を取得します。日本国から出国し、その期間内に日本国へ戻ると、パスポートに貼られたシールの確認だけで再入国することができます。
3年、或いは5年の再入国許可は、日本国外の在外公館にて1回のみ、延長することができます。
 また、出国カードにスタンプを押しただけの“みなし再入国許可”の場合は、入管での再入国許可の申請なしに1年間有効の再入国許可を取得したとみなされます。この場合は、在外公館での延長はできません。

 再入国許可の有効期限を越えて日本国外に滞在した場合、日本で取得した在留資格は失効します。
救済処置もあるようですが、手続きは面倒ですので期間内に帰国することをお勧めします。(11/20)
再入国許可(フィリピン)
 フィリピン国内に長期滞在する権利を有する外国人が出国し、再び帰国する場合に入国に必要な手続きを簡素化する許可。
 フィリピンの永住ビザ、就労ビザなどを有している外国人が国外に出国し、再び入国する際の手続きを簡素化するために、出国前にイミグレーション、或いは、空港で手続きを行う。
 ただし、退職者ビザ(PRAビザ、SRRV)の場合は、必要としません。
在留資格
 外国籍を有する者が第三国に滞在するための資格
 ビザと重複しますが、在留資格とビザが混同される場合が多いのですが、両者は異なります。
先ず、ビザとは第三国に入国するための通行手形、渡航許可と考えてください。
 日本とフィリピンの場合で言えば、日本人(日本国発行のパスポート所有者)はフィリピンへの入国以前にビザ申請を必要としません。30日以内の有効な帰国用、或いは出国時に使う航空券を持っていれば、最長30日まで滞在することができます。
 しかし、フィリピン人(フィリピン共和国発行のパスポート所有者)は日本への入国前にビザを申請し、発給を受けた者だけが日本への渡航が許されます。パスポートにビザのシールが貼られていないと、航空券を持っていてもフィリピンを発つことができません。
これがビザです。

 通行手形、渡航許可を得て、日本へ渡航します。港(殆どの場合は空港)で入国審査を受けます。ここで入国が許可されますと、滞在目的や日数などによって在留資格を与えられます。この時点で、通行手形のビザは在留資格に変わります。
 観光や親族訪問などを目的に90日(15日、30日)以内の滞在を認められたビザは、観光や家族訪問を目的に最長90日まで滞在が可能な“短期滞在”という在留資格を得たことにとなります。

 ビザは第三国へ行くための通行手形、渡航許可...、在留資格は第三国に滞在するための許可です。
27種類の在留資格があります。90日以内の短期滞在を除いては、その目的に沿った日本の入国管理局発行の在留資格認定証明書が必要になります。
 日本人と結婚したフィリピン人配偶者が、日本で暮らすためには“日本人配偶者等”の在留資格が必要となります。最初に認められる在留期間は1年です。この場合、就労制限はありませんので、日本で働くこともできます。日本人の配偶者等の資格を延長し、“永住者“への在留資格の変更を届けを行い、認められますと“永住者”となり、“在留資格・永住者”いうシールがパスポートに貼られます。
 また、“日本人の配偶者等”の在留資格の人が、日本人配偶者と死別したり、離婚した場合、当然ながら次の更新ができません。在留期間満了前、在留期間更新時に在留資格の変更の手続きを行い、一定の条件が認められますと“定住者”の資格を得ることができます。

 在留資格は、その取得に不正が有ったり、資格取得後に必要条件が満たされない場合、その許可は取り消される場合があります。また、上の再入国許可を得て日本国を出国した場合、在留許可の有効期限と再入国許可の期限の早い方の期日までに帰国しないと、在留許可を失うことになります。これは、“永住者”にとっても同様ですので、注意が必要です。
在留届
 旅券法16条により、外国に3ヶ月以上滞在する日本人は、最寄りの大使館または総領事館に届出をすることが義務がある。
 在留届を出すには、幾つかの方法があります。
大使館のHPからインターネット、或いは、届出用紙をダウンロードして、
1)インターネットによる手続き
2)大使館窓口
3)FAX
4)郵送
などです。
 一度出した在留届に帰国、移転、勤務先の変更、電話番号うあメールアドレスなどの変更事項が生じた場合、変更届を行います。
緊急時などには大使館から直接、電話やメールで連絡を受け取ることができます。
里帰り
 一般的には、妻が嫁ぎ先から実家に帰ること。
 ここでは、フィリピンに永住、或いは、就労のために長期滞在していて、日本に一時的に戻ることをいいます。
ビザの種類によっては、イミグレーションで再入国許可を取る必要があります。
PRAビザ(SRRV=退職者ビザ)は不要。
フィリピン国内に1年以上に渡って在留した場合は、旅行税(1620ペソ)が課税されます。

 長期滞在者がフィリピン人配偶者、子を伴って帰る場合は、配偶者、子のビザが必要になります。
必要書類は、パスポート、申請書、写真の他、出生証明書、婚姻証明書、日本へ入国する理由書、日本人配偶者の戸籍謄本、日本人配偶者のパスポートのコピー(フィリピンに長期滞在できるビザを含む、スタンプのある全ページ)。
婚姻期間が1年以上の場合、1回の訪問日数が90日以内、1年間有効の数次ビザの発給を受けることができます。
JPM
 JPMの元歌とタガログ語のタイトル、
歌手名の一覧は...こちら

 JAPAN PHILIPPINE MUSICの略
元歌が日本の歌で、タガログ語の歌詞がついたもの。
元祖(?)はテッド・イトーさんと思われる。
(※)
徳永英明さんが歌った“最後の言い訳”、“輝きながら・・・”、“Myself”などが有名。

 さらんご〜らが初めて聴いたのは、イルカさんの“なごり雪”のJPM...“Minsan lang"。
その時の思いは、『こんな歌...あるのかぁ〜?!』
その後、タレントさんに貰ったカセットテープに入っていたのが、先の3曲と“シングル・アゲイン”の“Lumayo ka man sa akin”、そして正体不明の...“Maghintay ka lamang”。この5曲...元歌の日本の歌も知らずに丸暗記する。
 それがきっかけとなり、フィリピンに来るたびにショッピング・モールのCDショップ屋さんをはしご。その頃のCDはまだまだ高く、今と然程変わらない金額だったので、専ら、カセットテープに収録されているJPMを漁る。時には、店頭で歌って、踊って...。
 或る時、タクシーの乗っていたらラジオから聞こえてきたのは、“踊るポンポコリン”のタガログ語バージョン。急きょ、予定を変更して、タクシーの行き先を近くだったハリソン・プラザに変更。エスカレータ脇にあったCDショップに飛び込み、友だちと一緒に歌う醜態を演じた。その甲斐あって、“Suzuki Girls"が歌うカセット・テープを入手。
 当然ながら、店員さんの...“(JPMが)入っているよ!”の言葉に騙されて買ってしまったカセットも少なくなく、その数は300本超。そして、時間があるとカセットテープがすり減るまで聴きながら、テープ起こしをして歌詞を収集。
その結果、集めたJPMが...およそ100曲、丸暗記した曲が...およそ30曲。
もともとカラオケは好きな方ではないので、この辺りで息切れを起こす。
現在、歌える曲...数曲のみ。

 ◎最初に丸暗記した曲: 最後の言い訳=Ikaw pa rin
   元歌も知らずに憶えて、結局...歌えず!
 ◎一番難しかった曲: さよなら夏の日=O, kay sarap ng pag-ibig
   歌詞に繰り返しが無く、長ぁ〜い。
   JPMのテンポに慣れて仕舞うと、元歌が...遅くて、先走ってしまう。
   その内、歌詞が...バラバラ!
 ◎最短(ひと晩)で憶えた曲: 追憶・never fall in love =Di na ibig muli
   1回聴いて...嵌る。歌詞が繰り返しなのでひと晩でクリア!
 ◎元歌を知らずに憶えて、結局、歌えなかった曲=多数(最後の言い訳、輝きながら、Myself...ことごとく沈没!)

JPMの想い出・・・店中からおしぼりを投げられた!
 友だちに誘われて、初めて行ったフィリピン・パブでのことです。
そこで、1時間余り...
「タガログ語、分かりません。
 “私”は何といいますか?」
などと、入れ替わるタレントさん相手にタガログ語を教えて貰っていました。
ネタを知っている友だちは、頃合いを見て竹内まりあさんの“シングル・アゲイン”をリクエストしました。
いよいよ、カラオケの番が回ってきました。
隣についていたタレントさんと共にステージへ...。
一番は日本語で歌い...、
間奏の後、“Lumayo ka man sa a〜kin”とタガログ語で歌い出しました。
少しの間があき、隣のタレントさんが...「あっ、タガログ!」と気付き、その波紋は次第に店中に広がりました。
15分ごとに入れ替わってタガログ語を教えてくれたタレントさんが、店のあちこちに散らばって接客をしていました。
彼女たちも気付き、ひとりが「嘘つきぃ〜!!」と叫びながらおしぼりをステージに向かって投げつけました。
それが引き金となり、店中から...「嘘つきぃ〜!!」と共に、おしぼりが...!!

※JPMの元祖は...?
 上でJPMの元祖はTED ITOさんと書きました。
しかし、よくよく考えて、ちょっと調べてみましたら...、
TED ITOさんの歌った“Ikaw pa rin”の元歌、”最後の言い訳”がリリースされたのは1980年代の後半で、“Ikaw pa rin”は90年代のようです。一方、シャロン・コネータさんの“Itanggi mo”は、“High School”などと一緒に1980年代初頭にリリースされていました。そうすると、シャロン・コネータさんが元祖かどうかは分かりませんが、TED ITOさんの”Ikaw pa rin”よりも早いことが分かりました。

 JPMの始まりは詳らかではありませんが...、ちょっと、考察。
一般的に言って、フィリピンでリリースされる新曲の数は極端に少ないよう感じます。
あのEAGISでさえ、この14〜5年の間に新しくでたCDは2枚程度だと思います。その内の1枚は...焼き直し?!
昔々のカセット・テープがCDになって、いまだに店頭に並んでいます。
 例えばですが、CDを出したいと思っても、曲を作るという作業は誰でもできる訳ではありません。
ところが、その曲、メロディーさえあれば、タガログ語の歌詞を載せれば...曲になってしまいます。
 1983年にベニクド・ニノイ・アキノ元上院議員が射殺され、フィリピンへ”お買いもの”に来ていた日本人観光客が減りました。更に、86年に2月革命が起き、人の流れはフィリピンから日本へ...。日本人が運んできた日本文化(?)から、フィリピン人が見つけた日本文化がフィリピンへ伝搬しました。そのひとつが、カラオケで身に付けた...日本の歌、曲だったのではないでしょうか。そして、プロデューサーとしてのTED ITOさんの功績(?)が大きそうです。
ジカ熱(Zika Fever)
ジカウィルス感染症はフラビウイルス科のジカウィルスによって引き起こされる病気。アジア、アメリカ、アフリカ、太平洋地域で感染症が発生している。
 1947年にウガンダのZika Forest(ジカ森林)のアカゲザルから初めて分離された。
 ジカウィルスを媒介とする蚊に刺されてからの潜伏期間は一定ではないが、発症すると微熱、網膜充血、筋肉痛、関節痛、頭痛、発疹などの症状がでる。発熱や症状はデンゲに比べると軽症でですが、特効薬や治療法はなく、十分な休養をとること。
 ことし2016年には、ビサヤ地方のイロイロ市、セブし、ルソン地方ではモンテンルパ、マカティ、マンダルーヨンなどで17例が確認されている。

 予防は蚊に刺されないようにする...、なんとも心もとない予防法しかないようです。
虫よけクリームやスプレー、蚊取り線香、除虫灯、蚊帳などを駆使して蚊に刺されないようにするとともに、軒下などに水たまりを作らないようにすることも予防方法のひとつになりそうです。
住宅選び
 人が居住に供する家屋、建物
 フィリピンで外国人が購し、外国人名義で登記のできる不動産はコンドミニアムだけです。
外国人は基本的に土地の所有が許されていません。また、登記できる不動産はコンドと土地だけですので、日本のように土地と住宅を別々に登記する訳ではありません。いわゆる、土地付き一戸建て住宅は、フィリピン人名義か管理会社を設立して会社名義で登記することになります。

 外国人が枕を高くして眠るには、セキュリティーのしっかりしたコンドか、ビレッジがおすすめです。
フィリピン人配偶者がいる場合、その親類縁者の住む地域に住むことも選択肢のひとつです。しかし、この場合はフィリピン風の濃い親戚付き合いを覚悟しなければなりません。

 日本の分譲宅地の場合、東道路や南道路に面した土地は、西や北道路に面した土地よりも割高になります。また、角地も同様です。ところが、こちらでは北道路も南道路も、角地も...皆、統一価格の場合が多いようです。東道路や南道路に面した土地を好むのは、日本人の習性化もしれませねん。

 フィリピンで一戸建て住宅を選ぶ場合、方位は日本と逆でも良いように思います。まず、マニラ首都圏の北緯14度凸凹ですと、太陽はほとんど頭の真上を通過します。夏至を中心にその前後は太陽は真東と真西を結ぶ線より南を通らずに北側を通り、いわゆる...“南半球状態”になるほどですので、南面の日当たりを気にすることもありません。常夏の強い日差しを避けるとすれば、南面道路に執着する必要はありません。
 南北よりも気にしたいのは東西です。東西方向が道路や空き地などで開けていた場合、朝の陽ざしと夕陽が容赦なく照らしつけてきます。日の出とともに室内は30℃超、夕陽で温められた寝室のベッドは夜になってもオンドル状態です。という意味では、南面か北面道路で、東西に隣家がある...区画がおすすめとなります。

 宅地の分譲にせよ、建売にせよ、いわゆるビレッジの住宅を購入する場合、完成された、或いは、ある程度整ったビレッジ内の土地、住宅を購入することをおすすめします。開発間もないビレッジ、或いはプリ・セールの段階で契約、購入してしまいうと、その後、ビレッジが完成しない危険性、完成したにせよ長期間かかる場合があります。その間は電話もケーブルTVも無し、住人の数が足らず共益費が集まらずセキュリティ・ガードが居なくなってしまったり...、思わぬ事態に陥るケースが少なくありません。周りに人家がなく、街路灯も点かず、電話もTVも無い、その内、セキュリティー・ガードが居なくなってゲートは解放状態...枕を高くして眠れませんね。
銃弾
 銃器に使われる弾。
主に生物の殺傷、闘争目的、射撃スポーツに使われる。 
 左の項目以外のフィリピンでの使われ方が、世界中...大袈裟ではなく...で話題になっています。
マニラ国際空港(NAIA)でX線を使った荷物検査の際、荷物の中から銃弾が見つかり、それをネタに“口止め料”を要求する事件が頻発に発生し、こちらの新聞ではことし(2015年)の8月か9月ごろから報道されるようになりました。

 航空機に乗る際に預ける荷物や手荷物と共に銃弾を持ち込むことが違法か、どうかは知りません。『多分、駄目だろうな?!』程度の認識しかありません。なにせ、その手の法令を読んだことがありませんし、難しい法律用語の並んだ英文など読める訳がありませんから、こちらの国では駄目とと言われれば駄目...、それに従わざるを得ませんし、危ないと思ったらやめておく...ことにしています。

 空港で銃弾を持っていた搭乗客に対して、法律違反であることを教える...、銃弾を没収する...、身柄を拘束して事情聴取をする...、場合によっては逮捕、送検する...などが、警察の行う行為だと思います。しかし、それをネタに“口止め料”と報道されるように金品を要求するというのですから...呆れたものです。更に、“口止め料”徴収の効率化を企てれば、無実の搭乗客にセットアップをかけ始めました。交通違反を犯したドライバーから袖の下を受け取り、違反切符を切らない交通指導員やMMDA職員、警察官が、違反をしていないドライバーにまで因縁をつけ、賄賂や“メリエンダ”を要求してくるのと同じです。

 空港でセットアップをかけられた女性がTwitterで状況を書きました。それが世界中に拡散されて凄いことになってきました。機内へ預ける荷物、手荷物は透明のビニールで梱包され、手に持つものは財布とパスポート、航空券だけだそうです。こんな自衛手段をする搭乗者の姿を見て、日本でいえば国土交通省から派遣されている保安係、空港警察、国家警察のお偉いさんたちが、それぞれの無実、事件への関わりを否定し始めました。しかし、現場では荷物の中に銃弾を忍び込ませる事件は後を絶ちません。そこで考え出した犯罪手口、言い訳、口実は...タクシードライバーや空港のポーターが銃弾を入れている可能性がある!!
 ...ったく、ドライバーやポーターが何をやろうと、袖の下を要求することが駄目!!ということに気づいてないのでしょうか??
フィリピンならではの銃弾の標的にならないよう...、気を付けたいものです。
修理
 機械の故障個所や設備の破損、損傷個所を補修、改善すること
 車のラジエーター・ポンプが壊れ、、修理に出したら直ぐにラジエーター本体が壊れました。
 エンジンオイルの交換を終えて帰ろうとエンジンをかけると、エンジンルームから異音が聞こえてきます。
 修理の内容は分かりませんが、修理屋さんに3日間車を預けておいたら、新品のバッテリーが古いものに交換されていた。古いラジエーターに気づいて文句を言ったら、“充電しておいてあげた!!” 
 屋根のペンキ塗りを頼んだら、雨漏りが始まった。屋根板を固定するピンが抜かれて穴が空いていた。
 水道管の水漏れ修理を頼み、終わったら、別の個所から水漏れが始まった...。

 こんなことが、数え切れないほど起こります。
そこで、自分でできることは自分でやろうと、必要な工具は買い揃えます。
その結果、のこぎりは5種類、電動のこぎり、ジグソーまで買い込み、金槌、巻き尺、直角定規、日本製のカンナ、梯子に脚立...、大工仕事を頼んでのこのことやってくる職人さんより、多くの道具を揃えてしまいました。当然ながら、ドライバー、ペンチ、ラジペン、ニッパー、コード剥き、カッター、各種の接着剤やテープ類もあります。庭仕事用には大小の枝きりハサミ、スコップ、シャベル、熊手、水撒き...。

 車と電気の補修は人任せですが、天井補修やキャビネット作りの大工仕事、屋根を除いたペンキ塗り、鉄管でなければ水道管の補修、水洗トイレの水漏れ修理などなどは自分でやることになりました。出来栄えは不出来でも、自分でやれば...すべて納得です。 
正月
 1年の最初の月。
1月。
 丸い果物を13種類集めて飾ったり、正月独特の料理を作って食べたり、様々な風習があるようですが、分かりやすくて迷惑、話題性のある正月の風物詩は、なんと言っても花火でしょう。

 フィリピンの正月は、中国式...大きな音を立てて厄を払う...の花火の音と共に明けます。
その煩さは日本の正月に慣れ親しんだ年寄りには、なかなか受け入れがたいものがあります。大晦日の午後10時ごろになりますと、花火の炸裂音が聞こえてきます。遠くで聞いている内はまだ良いのですが、それが隣り近所で始まると、硝煙と臭い、残骸の紙屑、打ち上げ花火の残骸が屋根の上に落ちきます。花火に興じる輩は炸裂音を楽しむだけで、けたたましさや硝煙、臭い、ごみなどにはお構いなしです。翌朝、紙屑、残骸の散らかった道路を掃除をするのは、メイドさんやドライバーたちです。

 そして、毎年繰り返されるのが、事故によるけが人に関する報道です。
年内の内から片手を失った少年などが登場するビデオを流し、花火事故を警告していますが、事故が絶えることはありません。導火線に点けた火を覗きこんで視力を失ったり、指や腕が吹き飛んだり、ことし(2016年)早々には太い筒状の花火に抱き着いて爆死した人がいたそうです。
処女受胎
 処女受胎、或いは懐胎ともいう。
男女の交わり無しに処女のまま子を宿すこと。特に、聖母マリアによるイエス・キリストの受胎というキリスト教における概念をいう。
 キリスト教の項で書きました通り、フィリピンではマリア信仰強いようです。
時に、目から涙や血を流すマリア像が出現することもあります。
 そして、何よりもマリア信仰の強い証があります。敬虔クリスチャンは婚姻前に男と交わることは決してありません。しかし、フィリピンには夫の居ない母親がなんと多いことか...!! 
これは、一重にマリア信仰の賜で...、処女受胎の具現としか言いようがないでしょう。
ジプニー
通称、ジープ。
トラックのシャーシに中古のエンジンとアメリカの軍用車のジープを模したボディー載せた車。塗装は派手で、主に乗り合いの小型路線バスとして利用されている。
 かつてはSARAOというジープメーカーがあり、運転席の両脇のサイドミラーに縦書きのSARAOの文字がありました。今は会社が無くなったのでしょうか、久しく見ていません。
 見なくなった...と言えば、ジープのボンネットの上に乗っていた馬も無くなりました。かつての馬車、カレッサのイメージからジープのボンネットにピカピカに光る30センチ程度の馬のモデルを乗せたそうです。馬と一緒に鏡も付いていましたが、今は見なくなりました。

 このジープ、路線バスとして走っている場合、何処でも乗り降りができて便利です。料金は8ペソと安価ですので、庶民には欠かせない交通手段です。
 しかし、運転する方も乗る方もフィリピン人ですから、交差点の真ん中に車をとめ、乗客を乗り降りさせています。交差点内を避けたとしても、他の車の通行など一切、お構いなしです。自前のジープにせよ、リースにせよ、運賃8ペソの乗客の取り合いです。急発進、割り込み、進路変更、急停車は常、その上、ウインカーは使わない、ブレーキランプが壊れているときています。そして、マフラーからは黒い煙とけたたましい音を吐きだして走ります。フィリピン中で起きている渋滞の原因の半分はジープの野放図さ...だと思います。あとの半分は、ずさんな都市部の道路計画と道路環境、歩行者を含めた交通マナーの軽視です。


・・・なんてことを書いていましたら、2015年5月15日にラス・ピーニャスの某所で、

こんなジープを見ました。
ボンネットの上に馬、鏡(?)が乗っています。
以前のジープは、みんなこんな感じでしたが...。

一緒に“SARAO”の文字の入った...ちょっと変わった、可愛いジープも!!

死亡届け
正式には死亡届書という。
法務省の地方支分部局である法務局の戸籍課が管轄する行政機関へ届ける書類で ある。
出生届け同様、自分自身で提出できない。
 フィリピン国内で日本人が死亡した場合、死亡届けの方法には大別してふたつの方法があります。
ひとつは日本の本籍地で行う場合、もうひとつは日本大使館で行う場合です。
日本大使館で行うにしても、日本で埋葬する場合とフィリピンで埋葬する場合で手続き、書類が異なります。

フィリピンで埋葬する場合
 1)死亡届出書(大使館に用意) 2通
   ・日本大使館のHPで見本をダウンロードできる
 2)フィリピン政府(市役所)発行の死亡証明書(原本の写しであることを証明するスタンプのあるもの) 2通
   ・原本は1通のみですので、スタンプのあるコピーを使用します。
   ・死亡者の名前、場所、宗教、国籍、居住地、死因、担当医の名前、埋葬方法、届出人などが記入されています。
   ・市役所によって異なるのかもしれませんが、証明書の右側部分にスタンプが押されています。
 3)死亡証明書の日本語翻訳書類 2通(1通はコピーでも可)
   ・死亡証明書原本には1983年版と2007年版のふたつの様式があります。
    日本大使館の翻訳用紙も2種類用意されています。
   ・枠外の下部に翻訳者の氏名を記入します。
    翻訳者は、誰でも可。
 4)死亡者の本籍(戸籍謄本、抄本がなくても、正確な本籍地が分かれば可)
   ・死亡届出書に記入します。
 5)届出人のID(パスポート、SSS、運転免許証など)
 6)届出人の印(無い場合は拇印で可)
 7)死亡者のパスポート(大使館のHPには書かれていませんが必要です)
 *提出期限は3か月以内、もし、3か月を越えた場合はその理由書が必要になります。
 *届出人は同居の親族、同居人などとなり、戸籍に記載されます。
   もし、届出人が外国人の場合はミドル・ラスト・ファーストネームの順で書きます。
   その外国人が、死亡した日本人の配偶者だった場合、結婚する前の旧姓を書きます。
 *日本大使館へ死亡届けを提出した場合、本籍地で反映されるまでおよそ2か月かかるそうです。

 日本で埋葬する場合は、日本での火葬、埋葬許可書、遺体、若しくは遺骨の搬送許可などが必要となります。
上にも書きました通り、日本大使館に死亡届けを出すと戸籍に反映されるまでに時間がかかります。
日本で火葬、埋葬する場合は、日本の市役所へ届出をすることをお勧めします。 (11/20)
植民地根性
長い間植民地として宗主国の支配を受けた歴史、経験をもつ国家、国民に生まれた国民性、国民意識。
 フィリピンは16世紀から19世紀にかけての333年間はスペインを宗主国とし、その後、アメリカの植民地(独立を視野にいれたコモンウェルス)支配を受け、第二次世界大戦時には日本の支配下にも置かれた歴史をもっています。
 植民地は現地に住まない宗主国の政府によって管理されますので、宗主国にとって重要、且つ、必要な政策を取る結果、現地人の都合などは一切お構いなしになってしまいます。結果、現地人は国家や公共、社会などに対する意識は薄れ、あらゆる事が個人、家族を基軸にすることになります。
 今、フィリピンを植民地とする宗主国はありません。しかし、富の90%を握る5%ほどの富裕層、権力者らによって、この国は支配されています。支配層がスペインやアメリカの宗主国から、国内の富裕層に変わっただけです。彼らの利益に繋がる投資やインフラ整備は行われ、維持、管理されますが、それ以上の投資は行いません。従って、利益に直結しない公共事業などは疎かになり、学校の校舎の慢性的な不足、毎年繰り返される洪水対策や河川の護岸整備、フィリピン国鉄の経営、国内の雇用対策などは二の次、三の次です。富裕層は更に豊かに、権力者は更なる権力を持ち、それ以外の人々は僅かな利益配分に群がり、国家、公共、社会性を失い、自己の欲求ばかりが主張される社会になります。結果、個人の権利の前に公共性は優先しない結果をもたらします。
 マニラ首都圏をはじめ、フィリピン全土で繰り広げられる...公共性無しの自己主張は、植民地支配によって培われた植民地根性の表れと言えるでしょう。それは自分のものならティッシュ・ペーパー1枚にも執着すのに、公共のものに対してはぞんざいで、決して大切に扱いません。
スタンダード
標準、基準
 基本的には、“標準”、“基準”の意ですが、しばしば曖昧な言い回しとして使われることがあります。
物のサイズ、厚みや口径などを店員さんや作業者に尋ねた時、曖昧に...“スタンダード・サイズ”という答えが戻ってくることがあります。厚さや口径...、つまり○○ミリ、センチ、インチなりの答えを期待して尋ねているですが、答えは“スタンダード”です。では、そのスタンダードなるサイズは、如何ほどかを尋ねる...と、分かりません。
 例えば、ドアの鍵を変えようとした時、ドアの厚さを調べます。ドアの厚みには2種類あって、その厚さに合わせた鍵があります。ドアの厚みをスタンダードで買い、鍵をスタンダードで買っても、それぞれのスタンダードが異なっている場合があります。ですから、ドアの厚み、鍵のサイズを知りたいのですが...答えはスタンダードです。
日曜大工屋さんに行くときは、巻き尺持参です。
彼らの言う“スタンダード”は...、「よく分からない」、或いは「知らない」という意味と理解して間違いなさそうです。
スマートフォン
携帯電話のひとつの形態を示すことばではあるが、明確な定義はない。電話、TEXT、メール、インターネットみ接続ができるタッチパネル式の携帯電話を意味する。
 日本ではスマートフォンの市場が携帯電話の50%を超えた...というニュースを読みました。こちらでは、どれほどなのでしょうか。フィリピン・ブランド(?)のマイフォンやチェリー・モバイルが安価で販売されたことをきっかけに、いわゆるタッチパネルのスマートフォンの普及が進みました。

 友人や知人と話をしていたり、何かの打ち合わせをしている時、自分の携帯電話ではないもので第三者と話をする場合があります。つまり、打ち合わせをしている相手が第三者に電話をして、その電話で隠居が話をする場合なのです。この時、相手方の携帯電話がスマートフォンで、タッチパネルが脂でギラギラしていることがあります。

 スーパーの買い物籠の取っ手、カートのハンドル・バーなどを掴むとき、ティッシュ・ペーパーやウエット・ティッシュでゴシゴシやってからでないと掴めません。ゴシゴシ拭かないと手のひらが痒くなってきます。スマートフォンの場合は、ギタギタ脂のタッチパネルを耳に
押しつけなければなりません。スマートフォンを握る手も辛いですが、耳も...辛い!!
セット・アップ
第三者に対して、罠を仕掛けること。
 厳密な違いは解りませんが、フレーム・アップと呼ぶ場合もあります。
簡単に仕掛けてくるのが...、未成年の女性に対する“不純異性交遊”(笑)です。
 未成年の女性を連れて歩いているだけで、警官(と称する者)の職務質問で事件は始まります。それまで、18歳、20歳だった女性が、突如...17歳以下の未成年に変身します。更に、女性や警官(と称する者も含む)などに覚せい剤や大麻などをバッグやポケットに仕掛けられると、更に厄介な事件に発展します。身に覚えの無いことでも事件となってしまうと、正規の手続きが必要になってしまいます。

 例えば、エルミタ地区の商業施設内で見知らぬ女性と知り合います。
女性が仕掛け人とすると、実行役は商業施設の出口に近いコーヒー・ショップなどでたむろっています。“不純異性交遊”ならその場で職務質問を受ける場合もあります。薬物やレイプなどですと、少し泳がされてから仕掛けが始まります。
 薬物関係で起訴され、有罪の場合の最高刑は死刑です。仕掛ける側の目的次第で、逮捕される以前に金銭で解決を迫る場合もあれば、身柄拘束を目的とされれば逮捕、拘留、起訴、裁判、有罪で懲役...と、ことは運びます。後者の場合は、大きくなれば大きくなるだけ、仕掛ける側にも経費はかかりますし、役者も必要になりますので、そう易々と悪だくみを考える訳にはいかないでしょう。 (08/11)
セルフィー
自分で自分の写真を撮ること
 FACEBOOKなるSNSが普及して、いつの頃からか自分で撮った写真をネット上に投稿する機会が増えてきました。写真を撮るだけなのか、投稿も含めてなのかは詳らかではありませんが、セルフィーと言うそうです。
 自分の写真を不特定多数の人に向けてネット上に投稿するなんて、爺にはとても考えられませんが、何故か、この行為が流行っています。ショッピングモール、スーパーマーケット、レストランなどで、携帯電話を斜め上方に構えて、カメラに向かって満面の笑顔を作ったり、ポーズを取っている姿を見かけます。皆さん、容姿に自信があるようです。
雑煮
餅を主な具として、醤油や味噌でだしに味付けをした正月料理。地域や家庭によって、餅や具、味付けが異なる。
 隠居の子供のころ、大晦日に夜更かしをしようが、夜中から初詣に出かけようが、元日の午前8時にはお雑煮やお節料理の並んだ膳につくことが...義務になっていました。この膳につかないと、お年玉が貰えないのです。どんなに眠くても、頑張って膳についたものです。
 祖母や母が作るお雑煮入る餅は、暮れの30日に皆で搗いたものでした。お雑煮に入る具は、ヤツガシラ、大根、ニンジン、シイタケ、ホウレンソウ、ナルトで、お餅と合わせて7種類でした。30日に搗いた餅を31日に切り揃え、その餅を火鉢で焼きます。こんがりと焦げて、プゥ〜っと膨らみます。焼きたてのお餅を雑煮の汁に入れるとジュッと音が聞こえてきます。そして、餅のおこげが汁に溶け...、香ばしくて、美味しくなります。なんとも、田舎らしい...お雑煮でした。

 このお雑煮を三が日、毎朝作り、食べさせられました。元日、2日ぐらいまでは良いのですが、3日目ともなりますと流石に飽きてきます。ところが、祖母も母も居なくなり...、日本から遠く離れ...、16年の年月が流れても...、誰に言われるわけではないのですが...、元日の朝から台所に立ってお雑煮を作っています。ことし(2016年)も、3日間、無事にお雑煮作りを終えました。また、来年もやるのでしょうね。
(写真は2016年1月1日)
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